高校生になってもうすぐ一年が過ぎようとしている。最初はおっかなびっくりだったSNSも、今では私の生活に欠かせないものになっていた。
朝起きて最初にすることは、昨夜の間に来ていた通知をチェックすること。学校から帰って真っ先にするのも、やっぱりスマホを開くこと。現実の世界では相変わらず透明人間のような私だけど、ネットの中では「NORI」として、確かに存在している。
今日も放課後、自分の部屋でスマホを開く。いつものアニメ掲示板には、昨夜投稿した作品の感想レビューに、たくさんのレスがついていた。
『NORIちゃんのレビュー、いつも的確で参考になります!』
『この作品、私も気になってたんです。今度見てみますね』
『NORIさんのイラスト、本当に上手ですね。プロ志望ですか?』
画面を見ながら、自然と口元が緩む。こんな風に誰かに認めてもらえるなんて、現実の世界では考えられない。クラスでは誰とも会話らしい会話をしない私が、ネットでは毎日何十人もの人とやり取りをしている。
特に仲良くなったのは、「アキ」「みー」「タケシ」の三人。みんな同じような年代で、アニメや漫画が大好きな人たち。最初は恐る恐るだった会話も、今では本音で語り合えるようになった。
でも。
スマホが震えて、みーからのメッセージが届く。
『NORIちゃん、今度みんなでオフ会しない? もうすぐ春休みでしょ? アキちゃんも賛成してくれてるし、せっかく同じ関東なんだから、会って話そうよ!』
画面を見つめたまま、胃がキューッと縮むような感覚になる。
オフ会。
また、その話しになる……。 いつかは話が出ると思っていても、実際にそうなると気持ちが沈む。スマホを手にしてネットの世界で交流を始めてから、何度、同じような誘いを受けたことだろう。アキからも、タケシからも、そして他の何人もの人から。みんな善意で、私のことを仲間だと思って誘ってくれる。
でも、私は会えない。
絶対に会えない。 みんなに嫌われたくない。震える指で、返信を打つ。
「ごめん、みーちゃん。私、人見知りがひどくて、まだオフ会は無理かも。声をかけてくれて本当にありがとうございます。今回は無理だけど、またの機会にお願いします」
送信ボタンを押した後、ベッドに身を投げ出す。天井を見上げながら、いつものように自己嫌悪の波が押し寄せてくる。
みんな私のことを、普通の女の子だと思っている。アイコンの可愛いイラストを見て、きっと私のことも普通に可愛い子だと想像しているんだろう。文章の雰囲気から、明るくて社交的な子だと思っているかもしれない。
現実の私は、醜くて、暗くて、人と話すのも苦手な女の子。もし実際に会ったら、みんなはどんな顔をするだろう。きっと期待を裏切られて、がっかりするに違いない。そんなみんなの顔を見るなんて、辛すぎるから。
「人見知り」なんて、嘘だ。本当の理由は、この醜い顔を見られるのが怖いから。そんな本当のことなんて、言えるわけがない。言ったとしても、みんな信じてくれるかわからない。
スマホが再び震える。今度はアキからだった。
『NORIちゃん、またオフ会断っちゃったの? みーから聞いたよ。無理強いはしないけど、私たちNORIちゃんに会いたいんだ。きっと素敵な子だと思うから』
素敵な子。
――私が?
――この顔で?涙が込み上げてくるのを必死に堪えた。アキの優しさが、逆に胸に刺さる。きっと実際に会ったら、「素敵な子」だなんて言葉は絶対に出てこないだろう。困らせてしまうだけだと思う。
それでも私は答えなければならない。この関係を続けるために。「ありがとう、アキちゃん。でも本当に人見知りで、今はまだ気持ちの準備ができてないの。オフ会の参加は、今回もやめておきます。本当にごめんね。もう少し時間をください」
また嘘をついてしまった。準備なんて、いつまで経ってもできるわけがないのに。私がこの容姿である以上、永遠に準備なんてできないのだから。
返信を送った後、スマホを机の上に置く。ため息をつきながら、机の上の小さな鏡を見る。そこには相変わらず醜い私の顔が映っている。
「なんで私なんかが生まれてきたんだろう」
小さく呟く。子どものころから何度も繰り返してきた言葉。鏡に映る自分に向かって、いつものように問いかける。
今は、ネットがある。みんなが私を必要としてくれる場所がある。顔を見られない、声を聞かれない、そんな関係だからこそ成り立つ友情がネットにはある。
それでも、時々思う。本当の友だちって、なんだろう。本当の関係って、なんだろう。お互いの本当の姿を知らないまま仲良くするのは、友だちと呼べるのだろうか。けれど、それを否定してしまうと、NORIとしての私を否定することになってしまう。
スマホが再び鳴る。今度はタケシからだった。
『NORIちゃん、オフ会の件だけど、もし大勢が嫌だったら、最初は一対一で会ってみない? 俺も人見知りだからさ、気持ちはわかるよ。カフェでお茶するくらいでいいから。春休みは短いけど、NORIちゃんの都合に合わせるよ?』
一対一?
それはもっと怖い。大勢なら、まだ紛れることもできるかもしれないけれど、一対一なら確実に私の顔をまじまじと見られてしまう。そのときの相手の表情を想像するだけで、心臓がバクバクと鳴り始める。「ごめん、タケシくん。誘ってくれて、ありがとうございます。毎回、断っちゃって本当にごめんなさい。でも、やっぱりもうちょっと時間が欲しいです」
同じような返事を打つ。何度目だろう、この返事は。
送信した後、深いため息をつく。こうやって、一人、また一人と、私は大切な人たちを遠ざけていく。せっかく仲良くなれたのに、最後はいつも同じ。会えないから、関係が続かない。
最初は優しく誘ってくれた人たちも、断り続けているうちに、だんだん私から距離を置くようになる。そして最終的には、連絡が来なくなる。当然だと思う。実際に会えない友だちなんて、やっぱり不自然だろうから。
もしかすると、今回は違うかもしれない。アキも、みーも、タケシも、今までの人たちよりずっと優しくて、理解がある。ひょっとしたら、会わない関係でも続けてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながらも、心の奥ではちゃんとわかっている。いずれは同じ結果になるって。みんな、いつかは私から離れていく。
それでも今は、この関係が続いてほしいと願っている。画面の向こうの友だちとの繋がりが、今の私にはなにより大切だから。心の支えなのだから。
スマホを再び手に取り、別の掲示板を開く。新しい投稿をチェックして、コメントを書いて、またレスをもらって。この繰り返しが、私の生活のリズム。現実逃避と言われても構わない。ここにいる間だけは、誰の目を気にすることなく、私も普通の女の子でいられるから。
心の隅で、小さな声が囁く。
「いつまでこんなことを続けるの?」
その声を振り払うように、私は文字を打ち続ける。今日もまた、会わない友だちたちとの時間を過ごすために。
夜が更けても、私はスマホの画面を見つめ続けていた。遠ざけてしまった友だちたちのことを思いながら、それでも手放せない、この小さな画面の中の世界を。
スマホの画面を見つめながら、私は震える指で文字を打ち続けていた。もう何時間も、この一通のメッセージを送ることができずにいる。「拓翔へ。これが最後のメッセージになります」 削除して、また打ち直す。何度繰り返しただろうか。でも、もう私は決めていた。この関係を終わらせると。 昨日から、拓翔は必死に私を慰めようとしてくれている。『写真を見たけど、紀子は僕が思っていた通りの優しい人だよ』『容姿なんて関係ない、紀子の心が好きなんだ』『今度こそ、直接会って話そう』と。 優しい言葉の数々。きっと、彼は本当にそう思ってくれているのだろう。でも、その優しさが、逆に私の心をえぐるのだ。 私は醜い。それは紛れもない事実。鏡を見るたびに、自分でも嫌になるほどの容貌。そんな私を見て、本当になにも感じないなんてことがあるだろうか。きっと、拓翔は優しいから、私を傷つけまいと嘘をついてくれているに違いない。「拓翔、今まで本当にありがとう。拓翔と話してきた時間は、私にとって宝物でした。でも、もうこれで終わりにします」 送信ボタンに指を置いたまま、動けない。これを送れば、もう二度と拓翔と話すことはできない。この数カ月間、私の心の支えだった彼との関係が、完全に終わってしまう。 けれど、あんなことがあった以上、もう続けることはできない。現実を知った今、このままでは私たちの関係は嘘になってしまう。 私の指が、送信ボタンをタップした。 震える指で、続きの文字を打つ。「会わない恋人なんて、やっぱり無理だったんです。私たちは画面の向こうの存在のままでいるべきでした。リアルな私を知ってしまった今、拓翔が私に向ける優しさは同情でしかありません」 涙が画面に落ちて、文字が滲む。「私は、あなたに同情されるのが辛いんです。本当の恋人同士だったら、こんなことで関係が変わったりしないはず。でも私たちは違う。画面越しの、美しい幻想の中でしか成り立たない関係だったんです」 ここで一度手を止める。本当にこれでいいのだろうか。拓翔の気持ちを信じてみることはできないのだろうか。 何度考えても無理だ。彩音
翌日の朝、私は昨夜の出来事が夢だったのではないかと思った。 拓翔との電話。お互いの愛の告白。改めて、恋人として付き合っていけるという現実。 すべてが信じられないほど美しくて、温かい。 学校に向かう道のりで、私は何度もスマホを確認した。拓翔からの『紀子、おはよう。愛してる』というメッセージが、本当にそこにあった。「おはよう、拓翔。私も愛してる」 返信を送ると、すぐに返事が来た。『今日も一日頑張ろうね。紀子がいると思うだけで、なんでも乗り越えられる』 その言葉に、私の心は温かくなったのと同時に、不安もまた大きくなった。 教室に入ると、昨日のことを思い出して足がすくんだ。彩音はもういつものように席に座っていて、私を見ると意味深な笑みを浮かべた。「おはよう、神林さん」 彩音の声は昨日と変わらず甘い。でも、その目には昨日と同じ冷たい光があった。「昨日はごめんなさいね。ちょっとやりすぎちゃったかな?」 彩音の謝罪は、心がこもっていなかった。私は彼女を無視して自分の席に向かった。 休み時間になるたびに、私はいつものように、こっそり拓翔とメッセージを交換した。昨日、お互いの気持ちを確認し合った。そう思うだけで、胸がドキドキした。『紀子、大丈夫? 昨日のこと、学校でなにか言われてない?』 拓翔の心配そうなメッセージに、私は少し罪悪感を覚えた。「大丈夫。拓翔がいるから」 本当は大丈夫じゃなかった。今日は彩音になにもされていないけれど、クラスメイトたちの視線が気になって仕方がなかった。昨日のことで、私を変な目で見ている人もいる。 昼休み、拓翔から電話がかかってきた。私は人目のない場所を探して、階段の踊り場で電話に出た。『紀子?』「うん」『声を聞けて安心した。今日は大丈夫?』「大丈夫」 私は嘘をついた。本当は辛くて仕方がなかった。クラス中が敵のように思えるほどなのに。『本当に? なんだか元気がないみたいだけ
僕は部屋で一人、スマホの画面を見つめていた。 数時間前に送られてきた写真。そして、そのあとに続いた紀子からのメッセージ。『ごめんなさい』『これが、本当の私です』 写真の中の少女は、確かに一般的な美人とは言えなかった。でも、僕が感じたのは失望ではなく、むしろ安堵だった。 なぜなら、僕自身も容姿にコンプレックスを抱えていたから。小柄で、クラスメイトからは「チビ」とからかわれ続けてきた。 紀子が美人だったら、きっと僕なんかには見向きもしなかっただろう、そう思うとホッとしている自分がいる。 でも、それ以上に僕の心を動かしたのは、紀子の勇気だった。 あんなにも自分の容姿を嫌がって、会うことすら躊躇っていたのに。 自分の一番見せたくないだろう部分を、僕に見せてくれた。それがどれほど辛いことか、僕には痛いほどわかる。 それなのに、紀子はどうして突然、写真を送ってきたんだろう。「紀子、話そう」 僕はメッセージを送った。返事は来ない。 もう一度、メッセージを送る。「紀子、今から電話で話さない?」 僕は思い切って提案した。今まで文字でしかやり取りしたことがなかったけれど、今はどうしても声が聞きたかった。 日曜日に電話をする約束をしている。だけど、その前にどうしても話したい。 スマホが震え、紀子から返信が届いた。『ごめんなさい……私は拓翔に嘘をついてた』「そのこと。ちゃんと話そう。二人で」 しばらくして、チャットアプリの着信音が鳴った。僕は慌てて電話に出る。「もしもし」『あ、えっと……』 紀子の声は小さくて、震えていた。でも、とても優しい響きだった。「紀子?」『うん』「初めて声を聞けて、嬉しい」 文字とは違う言葉のやり取りに、胸の奥が温かくなってくる。 電話越しに、小さなすすり泣きが聞こえた。『拓翔、本当にごめんなさい』「なんで謝るの?」
「やめてよ……」 私の声は掠れていた。彩音の最後の言葉が、私の心臓を鷲掴みにしている。「本当のことを教えてあげない?」 その言葉の意味を理解した瞬間、私の世界が真っ暗になった。 彩音は私が醜いということを、拓翔に伝えようとしている。「お願いだからやめて! なんでそんな酷いことをするの!」 私は彩音に向かって手を伸ばした。でも、彩音は私のスマホを高く掲げて、私の手の届かないところに持っていく。「神林さん、そんなに必死にならなくてもいいじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷酷だった。「酷いことだなんて、相手の人も知る権利があるでしょ? 付き合ってる人がどんな顔なのか」「付き合ってない!」 私は叫んだ。でも、それは嘘だった。少なくとも私の心の中では、今は拓翔と恋人同士なんだから。「へえ、そうなの? じゃあ、なおさら問題ないじゃない?」 彩音は私のスマホの画面を操作し始めた。私は血の気が引いていくのを感じた。「なに……してるの?」「写真を撮るのよ。神林さんの可愛い顔をね」 その瞬間、私は理解した。彩音がなにをしようとしているのかを。「だめ!」 私は彩音に飛びかかった。でも、彩音は素早く身をかわした。私はバランスを崩して、机に手をついた。「みんな、手伝って」 彩音がクラスメイトたちに向かって言った。彩音と仲が良い何人かの生徒が私を取り囲む。私は逃げ場を失った。「もういい加減にして! スマホを返してったら!」 私は涙声で懇願した。でも、彩音は聞く耳を持たなかった。「はい、こっち向いて」 彩音は私のスマホのカメラを私に向けた。私は必死に顔を隠そうとしたけれど、クラスメイトたちが私の手を押さえた。「神林さん、そんなに嫌がることないじゃない。ちょっと写真を撮るだけよ」 彩音の声は、まるで私のためを思っているかのよ
翌日、昼休みの教室で、私は一人で弁当を食べていた。いつものように隅っこの席で、できるだけ目立たないように身を縮めて。「ねえ、神林さん」 突然声をかけられて、私は箸を持つ手を止めた。振り返ると、またしても彩音が立っていた。その美しい顔に、いつもの意地悪な笑みを浮かべて。「なに?」 私の声は震えていた。昨日のことがあって、こんなふうに話しかけられても、警戒心しか湧いてこない。「昨日からみんな、ずっと気にしてるんだけど、神林さんってネットの恋人とメッセージのやり取りをしてるでしょ?」 そう言って、彩音は私の隣の席に勝手に座った。周りのクラスメイトたちがこちらを見ている。私は急いでスマホを隠そうとしたけれど、その手を掴まれた。「みんな、内容が気になるんだって」 彩音の声には、悪意をまとった響きがあった。クラスメイトたちのほとんどが、私と彩音のやり取りを見ている。「そんな……みんなが気にするようなこと……なにもないから」「へえ、そうなんだ」 彩音は立ち上がると、私の後ろに回り込んだ。そして、突然私の肩に手を置いた。「でも、今日も授業中こっそり見てたでしょ? 今度、先生にバレたら大変だよ?」 その瞬間、彩音の手が私のスマホに向かって伸びた。私は反射的にスマホを胸に抱え込む。「触らないで!」「なに隠してるの? そんなに必死になることないじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷たかった。私は立ち上がって彩音から距離を取ろうとしたけれど、彩音は諦めなかった。「みんな、神林さんがチャットのやり取り、見せてくれるみたいよ」 彩音の声が教室に響くと、周りのクラスメイトたちがざわめき始めた。私は顔が真っ赤になるのを感じた。「やめてって、何度も頼んでるじゃないですか」 私の声は涙声になっていた。でも、彩音は止まらない。「そんなに隠すなんて、よっぽど恥ずかしいメッセージを送ってるとか?」
一夜明けて、私は重い足取りで学校に向かった。 昨夜は一睡もできなかった。彩音に秘密を知られてしまったことが頭から離れず、拓翔とのメッセージのやり取りも、いつもの楽しさを感じられなかった。『紀子、今日は大丈夫? 僕はずっと君のことを考えてた』 朝一番の拓翔のメッセージに、私の心は少しだけ温かくなったけれど、不安のほうが大きかった。「正直、怖い。桧葉さんがなにをするかわからないから……」『なにかできることはないか、って考えてるんだけど、いい案が思いつかなくて。話を聞いてあげることしかできなくて、本当にごめん』「拓翔が謝る必要なんてないよ。考えてくれていることが嬉しい」『もしなにかあったら、すぐに連絡して。僕もなにか方法を考えるから。一人で抱え込まないで。いいね?』 拓翔の優しさが、今は逆に辛い。彼にはなにもできないことがわかっているから。それでも拓翔を安心させたくて「うん」と返事を送った。 教室に入ると、彩音はいつものように友だちと楽しそうに話していた。私と目が合うと、彼女はにっこりと笑って手を振った。 その笑顔が、私には悪魔の微笑みに見えた。 一時間目の授業が終わると、彩音が私の席にやってきた。「おはよう、神林さん。今日も彼氏とメッセージしてるの?」 小さな声だったが、その言葉に私は凍りついた。クラスの誰かに聞かれたらどうしよう。「そんなの……桧葉さんは気にしないでください」「昨日はごめんね。でも、本当に面白いものを見せてもらったわ」 彩音の目が意地悪く光る。「お願い、誰にも言わないで。お願いだから」「う~ん、どうしようかなぁ……」 彩音は指を唇に当てて、わざとらしく考えるポーズをした。 意地悪なことを言っているのに、そんな顔も仕草も綺麗に見える。「それにしても、神林さんって意外と積極的なのね。『愛してる』なんて、恥ずかしいセリフをメッセージで送り合うなん